■ 燕鎚起銅器のあゆみ ↑TOP


 220年くらい前 
 仙台より藤七という渡り職人が鎚起術を伝えました。(1764年〜1771年頃)

 190年くらい前
 初代玉川覚兵衛は、やかん類の製造を始め、燕銅器の基礎を築きました。(1804年〜1817年)

 120年くらい前(明治時代)
 三代目覚平の頃、京都をはじめ各地との技術交流が進み、日常銅器から美術工芸品として、国内外の博覧会に出品し受賞しました。四代目覚平が彫金や口打ち出し技法を開発し、美術工芸品としてさらに発展しました。

 60年くらい前(昭和初期)
 五代目覚平は昭和5年、横浜に工場を設けて、都内のデパートなどへ製品を販売しました。しかし、第二次世界大戦により一時かいめつ状態となりました。

 40年くらい前
 昭和33年「新潟県無形文化財」の指定を受けました。

 15年くらい前 
 昭和55年、文化庁より「記録作成等の措置を構ずべき無形文化財」の指定を受けました。
 昭和56年、六代目政男は二百年以上にわたる業を受け継ぎ、「燕・分水銅器協同組合」をつくり、6月に通商産業大臣より「伝統的工芸品 」の指定を受けました。


■ 燕鎚起銅器がさかんになったわけ ↑TOP

 燕地方は江戸時代初期、和釘の産地として知られ、中期以降、銅器、キセル、ヤスリ、矢立の金工技術が次々に入ってきて、現在では、洋食器など世界的な金属製品の産地となっています。

 近くに弥彦間瀬銅山(江戸時代末〜大正年間)があり、素材となる銅が手に入りやすかったからです。


■ 燕鎚起銅器の原料 ↑TOP


 銅板


■ 燕鎚起銅器のできるまで ↑TOP   

 地金取り
 製品の大きさを考え、銅板を目的の寸法に切り取ります。

 打ち落し
 へこんだ木台に材料を置き、回しながら打ち込みます。

 打ち絞り
 完成した形を想像しながら、側面を打ち縮めます。 側面が絞られるとその分高く立体的になります。

 焼鈍し
 650度位に熱して、銅を柔らかくします。

 荒均し
 形が出来上がったら、もう一度全体を打ち、むらやひずみをとります。

 表面合金
 製品の模様によって表面に錫を焼き付けます。

 均し作業
 たたいて銅板の鎚目を美しくならべます。

 彫金
 タガネを使い細かな模様を描き、彫り、打ち出します。

 着色みがき
 赤色系も黒色系も1個1個ていねいにみがきあげます。

 つるの取り付けの紹介


■ 燕鎚起銅器の課題と努力 ↑TOP


鎚起を作っている職人さんのお話
 
鎚起銅器の仕事は特別な技術を必要とするために、最初の2、3年は見習いです。
「一人前になりたいなら、ほかのだれよりもいっぱい仕事をして体でおぼえろ」と言われました。つちを打つ力かげんは口では説明できないものがあるからです。
 そそぎ口まで打ち上げる水さしをつくるのに3日から5日くらいかかります。ただ打つだけなら1年目の職人だってできますが、注文どおりの品物を図面もなしにつくりあげるには15年以上はかかります。
 今までできなかった所ができるようになったときは言葉ではいいつくせないほどうれしいものです。おおぜいの若い人たちにこの仕事をおぼえてほしいと思っています。
 
若い職人さんのお話

 鎚起銅器の仕事は前から知っていました。どちらかと言えば好きで入った仕事です。この仕事はこれでいいというようなものではなくて、自分の技を高めていくためにきりのないところがあります。皿のような平たい物から修行を始め、早くやかんのようなむずかしい物が作られるようになりたいとがんばっています。
 最初に基本的な仕事の方法は教えてもらえますが、後は、ほとんど教えてもらえません。むずかしいですがやりがいがあります。
悩みについてインタビュー 

仕事上でどんな工夫をしていますか? 


■ これからの課題 ↑TOP

 昭和初期までは、銅器製品には鍋、釜、やかん、火鉢、金ダライなどいろいろな物があり、銅器は貴重な日常の生活用具(実用品)でした。しかし、今の時代は、そうした物がだんだん使われなくなってきています。このことにより、昔からの燕の鎚起銅器の職人が少なくなってきました。(後継者不足)

 鎚起銅器は実用品としてだけではなく、美術工芸品としての価値も高めていくことが求められています。
 毎日の仕事はすわりっぱなしで大変なところもありますが、早く一人前の職人になりたいと思います。