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佐渡鷺流狂言


 能の間に演じられる狂言には、大蔵流、和泉流、鷺流があります。このうち、鷺流は明治時代に入るとおとろえ、大正時代の初期には中央の狂言界からは姿を消しました。  現在、鷺流狂言を伝えているのは、山口市(山口県)、佐賀県千代田町と佐渡だけです。佐渡の鷺流狂言も昭和30年代に消滅したといわれていましたが、昭和50年代に鷺流を伝える人が真野町にいることが分かりました。そして、この人たちによって、本狂言が7番復活されました。現在、佐渡鷺流狂言研究会が、鷺流狂言の伝承と普及に努めています。また、真野中学校ではクラブ活動に取り入れて伝承に努めています。

指定:県
種別:無形文化財(芸能)
所有者・管理者:保護団体 佐渡鷺流狂言研究会
保護団体:佐渡鷺流狂言研究会
指定年月日:昭和59年3月27日

詳しい解説

 鷺流狂言は、室町末期から近世初期ころにかけて成立した芸系で、大蔵流、和泉流とともに狂言流派の主流をなす一派である。その芸系の成立を、当流の所伝によれば観世音阿弥と同時代の路阿弥や兎太夫としているが、実際に芸風が確立するのは、九世三之丞、十世仁右衛門宗玄のころで、江戸幕府直属の観世座付きの狂言方として確固たる地位を得たころであろう。これが、幕末から明治にかけ、当流の家元、鷺仁右衛門家19世権之丞の不意の失踪により衰滅の一途をたどりはじめ、しばらくの間は、その門人たちにより伝承されていたが、大正の初期、鷺畔翁(鷺家とは血縁関係がない)を最後に、中央の狂言界から完全に姿を消してしまったのである。ただこの流れを汲む狂言が、素人の人々に受け継がれ、本家筋に当たる「仁右衛門」系が佐渡島内と新潟市に、分家節に当たる「伝右衛門」系の狂言が山口県にそれぞれ盛んに行われていた。ところで新潟市のそれは、戦後まもなく後継者を失い、佐渡も昭和30年代に消滅したと伝えられていたため、そのまま放置されていたが、昭和53~4年ころ、これまで宝生流の間狂言として鷺流狂言を演じていた真野町竹田の故土屋増一(昭和59.2.24没)、同吉岡の故若林義太郎(平成13年没)らにより本狂言(佐渡では番狂言という)の復活が図られ、現在「末広がり」「千鳥」「文荷」「附子」「瓜盗人」「膏藻煉」「宗論」の七番の復活をみた。

所在地

両津港から 新潟交通バス南線 真野新町下車 徒歩2分

問い合わせ先

佐渡市世界遺産推進課
〒952-1209  佐渡市千種246-1
TEL:0259-63-3195   FAX:0259-63-3197

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