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三十六歌仙絵扁額


 三十六歌仙は、藤原公任(きんとう)が選んだ36人の代表的な歌人です。松前神社に伝わるこの三十六歌仙絵扁額(へんがく)は、たて約45センチメートル、横約32センチメートルで、ヒノキの板を胡粉(ごふん)で下塗りし、色あざやかに描かれています。また、人物の背景には金箔が押されています。扁額の裏書きには、奉納者や制作年代は書かれていませんが、図中の草花などの下絵と和歌の書体が、本阿弥光悦書、俵屋宗達下絵の作品に近いことから、この人たちに近い作家が制作に参加していたと考えられます。このことから、制作されたのは、慶長年間(1598~1615)と推定されます。現在は、佐渡博物館に保管されています。

指定:県
種別:有形文化財(絵画)
員数:35面
時代:江戸時代前期
所有者・管理者:松前神社  〔管〕佐渡博物館
指定年月日:平成6年3月29日

詳しい解説

 佐渡金山採掘の改良に功のあった大久保石見守長安(1545~1613)が再建した松前神社に伝わる三十六歌仙絵扁額で、各額とも桧材に胡粉下地を施した上に、歌仙一体宛を濃彩で丁寧に描き、その背後をなす部分には、金箔を押している。また、上方の色紙形には、各々の歌一首を墨書している。  三十六歌仙絵扁額の神社への奉納が始まるのは室町時代以後のことで、現在知られているものでは、永享8年(1436)の滋賀石部町・白山神社本が最も古く、文亀2年(1502)の茨城石岡市常陸総社宮のものがこれに次ぐ。しかし、前者は、各板ごとに四または五歌仙を横に並べて描き、後者は同様に二または三歌仙を描いている。  これらに対して、版本『厳島絵馬鑑』に見える永正12年(1515)3月、狩野元信画、山崎宗鑑書の裏書きをもつ扁額では、各歌仙が各一額に一人宛独立して描かれており、扁額三十六歌仙絵の形式がここで一つの完成をみたことが想定される。本額同様彼を粉本としたと思れれるものに、永禄12年(1569)の滋賀県多賀町多賀大社本、また、狩野永徳の弟、宗秀(1551~1601)が慶長4年(1599)に描き、京都豊国神社に奉納した三十六歌仙が遺り、さらに、それ以前の作と推定されるものとしては、福岡県玄海町宗像大社に伝えられる狩野永徳の印・「州信」の鼎印を伴うものも紹介されている。  さて、これらを参考として考えると、本図はその描写形式において、永徳印本、宗秀本に近いものが認められるものの、どちらかといえば、後者に近いようである。しかし、その筆法に、必ずしも狩野派の強い癖が見られず、おだやかである。作者については、狩野派に限定することなく、さらに検討の要があろう。  ここで注目されるのは、図中の色紙形にみられる金銀泥で描かれた草花などの下絵、およびそこに書かれた和歌の書体が、いうところの本阿弥光悦書、俵屋宗達下絵のそれと甚だ近いことで、その制作に光悦・宗達周辺の参加が考えられる。とすれば、本扁額を慶長期(1596~1615)の作と推定してまず誤りないと思われ、作風およびその由緒と併せて誠に貴重といえよう。

所在地

新潟交通バス 佐渡博物館前下車 徒歩2分

問い合わせ先

佐渡市世界遺産推進課
〒952-1209  佐渡市千種246-1
TEL:0259-63-3195   FAX:0259-63-3197

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