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翁・三番叟絵扁額        三十六歌仙絵扁額


三十六歌仙は、藤原公任(きんとう)が選んだ36人の代表的な歌人です。この絵扁額(へんがく)は、たて約42センチメートル、横約29センチメートルで、ひのきの板に胡粉(ごふん)で下塗りした上に色あざやかに描かれています。翁・三番叟絵扁額の裏の墨書(ぼくしょ)から、寛永元年(1624)に長谷川左近が描いたことがわかります。左近は桃山時代の代表的な画家長谷川等伯の3男で、水墨画が得意で、屏風(びょうぶ)絵の大作も残しています。三十六歌仙絵扁額は、翁・三番叟絵扁額と比べると筆づかいが異なっていて、左近自身ではなく、その周辺の画家が描いたものと考えられます。

指定:県
種別:有形文化財(絵画)
員数:翁・三番叟絵扁額 2
時代:江戸時代前期
所有者・管理者:実相寺
指定年月日:平成6年3月29日

詳しい解説

 日蓮宗の古刹・実相寺に伝えられる翁・三番叟と三十六歌仙の扁額である。神に歌や芸能などの絵を扁額(絵馬)に描いて奉納することは、室町時代以降にわかに盛んになった。  この2組の扁額のうち、翁・三番叟扁額は、それぞれの裏面墨書から、寛永元年(1624)9月3日に当時32歳の長谷川左近が描いたことが知られる。左近は長谷川等伯の四男で、雪舟六代を称し、後に等重と改名した近世の画人である。水墨画を能くし、屏風絵などの大作も遺るが、宗達の筆意にも似るといわれた彼の一面を窺い得るものとして、すでに寛永7年(1630)に描いた滋賀県海津天神社の三十六歌仙絵扁額六面(一面に歌仙六人を並べる)が知られている。  本扁額はこれに先立つもので、それぞれ白色と黒色の尉面をつけ、風をはらんで舞う姿が、ゆるやかな勢と曲折を伴う線描、効果的な彩色によって大きく描かれており、海津天神社扁額に共通する特色がみられる。彼れと同筆と認められる自署から、当時の彼の年令を知り得るのも貴重である。なお能楽関係の扁額の古例では、慶長15年(1610)をさかのぼる京都北野天満宮の釣狐、寛永15年(1638)の石川県七尾総社の翁が知られているが、本扁額はこれらに並ぶものといえよう。  三十六歌仙は残欠三面を含めて十八面が遺る。平兼盛、中務両額の裏面に、 「寛永元年十月二日 由次」と墨書され、翁・三番叟扁額から一か月程おくれて描かれたことがわかる。しかし、その大きさ、共に桧板で作られ、額装のさまも規を一つにしていることから、相前後して一具として製作されたことは明らかである。その、形姿は、海津天神社のそれと一致し、畑野町松前神社のものとも共通する。完存せず、残欠となったものの含まれるのが惜しまれるものの、江戸初頭における翁・三番叟扁額と併せ奉納された遺例として珍重される。  ただし、これを海津天神社の三十六歌仙絵扁額や翁・三番叟扁額と比べると、筆致は謹直でややふくらみに欠けるようにもみえる。とすれば、その作者をただちに長谷川左近に当てることは躊躇され、彼周辺の画人とするのが穏当のようにも思われる。墨書の末尾にみえる「由次」があるいはその人に当たるのであろうか。  本一具の扁額がどのようにして実相寺に伝えられたかは、なお明らかではない。しかし、左近の父等伯が七尾の出身であり、左近の画蹟が金沢に遺るところからみても、佐渡に本額が伝存するのは敢えて不思議ではなかろう。ここに、長谷川左近、ひいては長谷川派研究上にも見逃し難い一資料を得たといえよう。

所在地

新潟交通バス 本線相川行き 長木下車 徒歩20分

問い合わせ先

佐渡市世界遺産推進課
〒952-1209  佐渡市千種246-1
TEL:0259-63-3195   FAX:0259-63-3197

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