本サイトを利用される際はJavaScriptが有効になるよう設定してお使いください.

大般若経


 大般若経(だいはんにゃきょう)は、三蔵法師の名で知られている、唐(中国)の僧玄奘(げんじょう)がまとめた経典のことで、日本に伝えられた後は、多くの僧侶によって書き写されてきました。  大和田薬師教会に伝わるこの経典は、主に南北朝時代の初期に書写されたもので、県内に伝わる室町時代以前の経典の中では、残っている数が最も多く、保存状態も良好です。また、書写した僧の名や寄進した人についての記載も多く、書写された時期や場所が分かるとともに、ここに伝わってきた経緯も一部分かるなど貴重な資料です。また、現在でも使用されていることは、県内では他に例がありません。

指定:県
種別:有形文化財(書跡典籍)
員数:612帖
時代:南北朝時代
所有者・管理者:大和田薬師教会
指定年月日:平成13年3月23日

詳しい解説

 本経典については、金井町や大和田集落による調査が以前からなされていたが、平成5~6年の県教育委員会による経典調査により、さらに詳細が把握された経緯がある(概要は報告書「越佐の経典」惨照)。  現在、大和田薬師教会(施設としては薬師堂が中核をなす)に保管されている。教会は大和田集落が管理しているが、もとは薬師十二坊と称した寺院群があり、薬師堂の年中行事をつとめていた。  経典は、薬師堂境内の宝蔵内の大箱6個の中に収納されている。大箱の中には、十巻ずつ収めた盆箱を5枚重ねにして、それぞれ百巻を目安に入っている。経典以外には、転読行為の際、堂内に掲げる十六善神画像も伝存している。ただし、これが製作された時期は近世以降と推定される。  員数は612帖を数える。これは、例えば「巻一」(記載されている経題)など失われた巻もある反面、2部、3部と重複して伝存している巻もあることによる。  装丁はもと巻子装であったと考えられるが、現在は折本装である。すべて後者の装丁になっているところから、員数については、「帖」を用いた。現在の表紙及び裏表紙には16弁の菊花、桐、三ツ葉葵の紋が摺写され、左端に経題が墨書されている。  法量は縦25~26.7センチメートル、界高は19.5~20.3センチメートル、界幅1.7~1.9センチメートルである。また、界線は淡墨掛、文字数は1行17字詰である。 教典の半数以上は、元徳4年(1332)から延元5年(1340)の間に朗覚によって書写されたものであるが、それ以外に書写した人名や書写年代が不明のものが入っている。  奥書によれば、朗覚は巻4を32歳の元徳4年2月24日に書写し、巻598を40歳の延元5年3月23日に書写しているので599,600巻と揃っていたと考えられる。そのほとんどはある時期「讃州仲郡子松庄財田庄石井八幡宮・榎井大明神宮」に所蔵されていたことを示す奥書がある。またその一部には「讃州財田庄八幡宮」にあったことを示す記述が巻首部分にある。それらは慶長年間に長谷寺(畑野町)の快秀の代に同寺の所蔵に帰したことが369巻の表紙見返し部分の記載から分かる。同様の記載が朗覚書写でない巻370の末尾(裏表紙の裏)にあることから、別系統の書写になる経典も一緒に同寺の所蔵となっていたことが分かる。この朗覚以外の書写になる経典は4人か、それ以上の人の筆になるものと見られる。したがって、現在大和田薬師教会にある612巻は、全巻長谷寺にあった可能性が高い。長谷寺では元禄年間の浄宥の代に修補を行っている。また同人の代には教典を収納する箱が寄付されており、現在もそこに納入されている。寛政年間には大慶寺住日南が修復しているので、これ以前に薬師堂の所蔵となったことが分かる。  

所在地

新潟交通バス 佐渡女子高校前下車 徒歩20分

問い合わせ先

佐渡市世界遺産推進課
〒952-1209  佐渡市千種246-1
TEL:0259-63-3195   FAX:0259-63-3197

関連情報掲載ページ

「「い・い・ね!」はページ
表示日からの累計です。
いいね 0