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小泊須恵器窯跡群


 真野湾の外海を見おろす台地斜面に、10~20基の窯跡(かまあと)が一定間隔で広い範囲にあります。この内、亀畑にある3基の中の、第二号窯跡1基を「小泊須恵器窯跡」として指定したものです。  この窯跡は、間口1.5メートル、全長5.3メートル、傾斜17度、壁の厚さ8センチメートルの登窯(のぼりがま)です。ここから、須恵器(すえき)の坏(つき)、盤(さら)、甕(かめ)、瓶(かめ)、高坏(たかつき)や布目瓦、土錘、瓦塔、陶硯などが出土しています。窯業は奈良時代から平安時代にかけて行われたもので、この付近一帯が一大窯業地帯であったことが分かります。
 製品が広域に流通した奈良・平安時代の須恵器窯跡は全国的に希少として、昭和29年度に窯跡1基が県指定された。
 その後の調査成果により、複数の窯跡が良好な状態で遺っていることが確認された地域を追加するとともに、名称も「窯跡群」と改める。

指定:県
種別:記念物(史跡)
時代:平安時代
所有者・管理者:佐渡市(羽茂地区)
指定年月日:昭和30年2月9日
平成17年3月7日(追加)

詳しい解説

 小泊須恵器窯跡群は佐渡市の南西部、真野湾南岸の海岸段丘上に位置する。明治末から大正初めの開田により多くの須恵器(すえき)窯跡が発見され、古代の瓦も出土したことから、県内有数の須恵器窯跡群であるとともに瓦陶兼業窯(がとうけんぎょうよう)として注目された。昭和29年には西三川村(にしみかわむら)古代遺跡調査会が、カメ畑(ばた)地区の発掘調査を行い3基の須恵器窯を調査し、昭和30年2月には遺存状態良好な2号窯が小泊須恵器窯跡として新潟県史跡に指定されている。
 平成12・13年には羽茂町(はもちまち)教育委員会(当時、現佐渡市教育委員会)が、フスベ地区で保存・整備のための発掘調査を実施し、9世紀代の須恵器窯4基を検出し、現在整備にむけて準備を進めている段階である。
 また、現在県指定となっているカメ畑2号窯の隣接地の確認調査を平成7年度と15・16年度に行い、9世紀前半から後半の須恵器窯や灰原が比較的良好な状態で遺存していることが確認された。
 小泊産須恵器は①器面に黒色の吹き出しが多くみられる、②胎土がきめ細かい、③ロクロ左回転を多用する、④ロクロ水挽きによる器面の凹凸が顕著で器壁が非常に薄い、といった特徴から他の須恵器との識別が容易である。昭和62年に坂井秀弥氏によって小泊窯須恵器が越後に流通していることが指摘され、その後の調査によって、越後の9世紀前半から10世紀の大半の集落遺跡から出土していることが明らかになった。また、県外では、富山市、長野県飯山市、山形県鶴岡市でも確認されているほか、石川県松任市三浦遣跡、青森県弘前市境関館跡でも小泊産須恵器の可能性が高いものが出土している。旧小泊港に面する岩の上遺跡から多くの須恵器が採集されるが、この中には焼き歪んだものが含まれないことから、島外への製品の積み出しに関連した遺跡と推測されている。
 平安時代初期から製品が広域流通する須恵器窯は全国的に見ても少なく、郡域を中心に流通する律令期の須恵器窯跡群と日本海沿岸で広域流通する中世の珠洲窯跡群の間を繋ぐ窯跡群として注目される。
 既指定範囲と一連の須恵器窯跡・灰原が発見されたカメ畑地区の範囲を拡張するとともに、面的な調査が行われ、同時代の須恵器窯跡群が良好に保存されていることが明らかとなったフスベ地区を追加し、名称も「小泊須恵器窯跡」から「小泊須恵器窯跡群」とする。

問い合わせ先

佐渡市世界遺産推進課
〒952-1209  佐渡市千種246-1
TEL:0259-63-3195   FAX:0259-63-3197

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