さめがおじょうあと
この城は、戦国時代に上杉氏の春日山城の守りとして築かれたものと思われます。御館(おたて)の乱(天正6~8年・1578~1580)のとき、上杉景虎(謙信の養子)は御館が亡びた後、ここで籠城しましたが、天正7年(1579)3月、上杉景勝(同じく謙信の養子)の攻撃を受けて自刃しました。 城跡は、頸城平野を見おろす城山(海抜180メートル)の山頂一帯と南側の山腹にあり、多くの曲輪(くるわ)跡や空壕(からぼり)、土塁、井戸などが残っています。
指定:県
種別:記念物(史跡)
時代:室町時代後期
所有者・管理者:妙高市
指定年月日:昭和38年3月22日
詳しい解説
戦国時代に、上杉氏の本拠春日山城の前衛として築かれたものと思われ、永禄頃の城将には、謙信の被官堀井玄蕃の名が見える。「御館の乱」(天正6~8年)の際に、城将堀井宗親は、上杉景虎(謙信の養子)方に参加した。御館(上越市大字御館)の陥落後、景虎はこの城に遁入し籠城したが、天正7年(1579)3月24日上杉景勝(同じく謙信の養子)の猛攻をうけて自刃した。 頸城平野を眼下に展望する海抜約180メートルの城山の山頂一帯および南側の山腹にかけて、大小数十の多数の曲輪跡や、空壕、土塁、井戸などが遺っている。峰から山腹まで掘りりくだる深い縦空壕は威観である。なお、東麓の篭町の館の内に居館跡がある。
所在地
妙高市大字宮内字矢代山 大字雪森字矢代山
JR信越本線 新井駅から徒歩30分、北新井駅から徒歩15分
問い合わせ先
妙高市教育委員会
〒944-8686 妙高市栄町5-1
TEL:0255-74-0035
FAX:0255-72-3902