■ 十日町明石ちぢみのあゆみ ↑TOP


 1500年くらい前
馬場上遺跡から紡錘車(糸に撚りをかける道具)が見つかりました。

 300年前ころ
江戸幕府は、越後縮を武士の式服にさだめました。

 125年くらい前(明治のはじめ)
農家の内職から、工場で専門に織るようになりました。

 110年くらい前
明治20年、「羽二重」などを作り始めました。このころから、「明石ちぢみ」の研究を始めました。
織物機械600台

 65年くらい前
昭和4年、明石ちぢみの宣伝のため十日町小唄を発表しました。

 35年くらい前
昭和35年、全国着物競技大会で優勝しました。

 20年くらい前
昭和52年、第1回きもの祭が開かれました。

 15年くらい前
昭和57年11月、「十日町絣」と「十日町明石ちぢみ」が、全国の伝統的工芸品に指定されました。

 10年くらい前
昭和58年 、地場産業振興センター「クロス10」ができました。s


■ 十日町明石ちぢみがさかんになったわけ ↑TOP

 魚沼一帯は、豪雪地帯ゆえに、空気中の湿度が高く、盆地特有の気候として、年間を通じ強い風が吹きません。このような気候風土が、麻織物の原料となる苧麻の生産に最適で、昔から自生していました。また、麻織物は、途中で乾燥させてはならないため、多湿な気候は安定した製品を生み出すのに絶好の条件でした。

 雪の上に糸や布を広げて行う「雪ざらし」により漂白された布は、ことのほか上質でした。また、豊かな雪解け水が、地層深く浸透してできる軟水は染物の発色に優れた効果があります。

「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒ぎ、雪上に晒す。雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮みの親というべし」と「北越雪譜」にも書かれています。

 やがて、麻織物の技術と伝統を絹織物に生かし、今日の十日町絣や十日町明石ちぢみが生まれました。


■ 十日町明石ちぢみの原料 ↑TOP

 かいこのまゆから絹糸をつくり、これを使って着物(十日町絣や十日町明石ちぢみ)をつくります。


■ 十日町明石ちぢみのできるまで ↑TOP

 設計(絣図案制作)
原図案や見本により、方眼紙に柄の位置を決めて、絣図案と絣定規を作ります。

 手延べ(整経)
繰返し機で、ボビンや枠に巻取った糸を、たて絣、よこ絣別に、設計に基づいた本数と長さに手で延べます。

 墨付け
たて絣、よこ絣、それぞれの絣糸を張り台に張り、絣定規に基づいて模様の位置に墨印 をつけます。

-1 くびり
たて糸とよこ糸の墨印をつけた部分を、錦糸か平ゴムで硬く括ります
-2 摺込み
墨付けされた必要なところに、摺込みヘラを使って、染料を摺込みます。

 染色
括った糸をかせ状にして、地糸とともに繰り返しもみながら染めていきます。

 糊付け
絣巻、織布の工程が順調に進むように、繰り返し糊を付けます

 絣巻
絣織りが順調にできるように、駒及び万力を使って、たて絣模様を合わせながら巻き取ります。

 明石経工程

 ● 糊付け 明石独特の味わいを出すため、強度の糊付けをします。

 ● 上撚り 糊付けした糸を八丁撚糸機にかけて明石経を作ります。

 機織り
たて絣とよこ絣の模様を丹念に合わせながら、織りあげます。

 製品検査
織りあがった反物の長さ、巾、織りむら、汚れなどを検査します。

 十日町明石ちぢみの完成


■ 十日町明石ちぢみの課題と努力  ↑TOP

 次の人に受け継がれるようにしています。(後継者不足)

 同じものばかり作っていては、将来行きづまるので、消費者のニーズに合わせた新しい商品づくりに取り組んでいます。