ぎょくせんどうのついきどうき
燕の銅器の発達は、江戸時代の元禄年間(1688~1704)に間瀬(まぜ・岩室村)銅山が開かれてからです。明和年間(1764~1772)に仙台からきた職人が技術を伝え、文化年間(1804~1818)に地元の初代玉川覚兵衛が始めてから盛んになったと言われています。この技術の特色は、製品を1個の銅のかたまりをツチで打ち起こして作り上げるところにあり、完成品にはつなぎ目はありません。完成品は、たがね彫りや象嵌(ぞうがん・彫った部分に金や銀をはめ込む)、七宝(しっぽう)などをほどこし、着色して仕上げます。
指定:県
種別:無形文化財(工芸技術)
所有者・管理者:保持団体 玉川堂
保持団体・保持者:玉川堂
指定年月日:昭和33年3月5日
詳しい解説
燕の銅器の発達は、元禄年間(1688~1704)に開鉱した間瀬(西蒲原郡岩室村)の産銅にもとづく。明和年間(1764~1772)、仙台から藤七という職人が来てこれを伝え、同地の初代玉川覚兵衛が文化年間(1804~1818)からおこしたのに始まるという。その技術の特色は、1個の銅塊をツチでうち起こし細部まで作り上げる技である。製品の形や大きさ、工程により、使用するツチと型台とを使い分け、銅の性状によって焼きなましながら打ちならし、伸縮させながら下から上に向って造形する。完成品はさらにたがね彫りや、象嵌、七宝等をほどこし、着色して仕上げるのである。製品は水瓶、水差し、茶器、花器、香炉等多種多様である。
所在地
燕市大字燕3064
JR弥彦線 燕駅から徒歩5分/北陸自動車道 三条・燕ICから車で5分
問い合わせ先
燕市教育委員会社会教育課
〒959-1262 燕市水道町1-3-28 総合文化センター内
TEL:0256-63-7002
FAX:0256-63-7003