浄専寺(じょうせんじ)は、文政元年(1818)に現在の所に移されたもので、庭園もこの時に造られたと伝えられています。庭園は本堂と庫裡(くり・寺の住職、家族の住まい)との間、東西の両側を廊下で囲まれた中庭で、庫裡の方から鑑賞するように造られた枯山水(かれさんすい・水を使わず石、砂などで造られた庭)です。石組などの配置の仕方がよく、石組もしっかりしている庭園といえます。
指定:県
種別:記念物(名勝)
所有者・管理者:浄専寺
指定年月日:平成2年3月30日
詳しい解説
浄専寺は真宗大谷派の寺院で、太田山と号し、慶長年間に信州から移転したと伝えられる。もともと、堂宇は現在の「字藤本」ではなく、北方の石瀬代官所のあった「字敷地」、通称御用地に構えていたが代官所が廃止となり、与板藩の領地となった時、藩主井伊右京太夫がその居城を浄専寺のある「敷地」に移す計画をたてたために移転を命じられ現在の地に移ったものである。 寺は文化13年(1816)に移築を始め、文政元年(1818)に落慶しており庭園もこの時期に作られたと伝えられる。 庭園は本堂と庫裡書院との間、東西両側を廊下で囲まれた中庭 (面積108平方メートル)で庫裡の方から鑑賞するように作られた枯山水で (庫裡南庭とする)、寺には、この他に庫裡北側に池庭もある。 庭園は本堂寄りに東と西に島を設け、その間に自然石の石橋 (長さ1.2メートル、幅60センチメートル、厚さ20センチメートル) を渡す。西側の島が大きく高く、中くらいの石を多数組み、東部に見応えのある立石2個を主とした枯滝石組がある。島の上にはマルバヒイラギ・カエデ・ツバキ・サンゴジュ・ニッケイの大木が見られる。東の島は石組で囲まれ、奥に気勢のある二個の立石と臥石一個による石組がよく利いている。この石組の手前にクロマツの大木(樹高15メートル、胸高直径60センチメートル)があり、その下に春日燈籠を立てている。 昭和40年代に東側の渡り廊下を改修したとき、廊下が50センチメートルほど西に広がり、東の島の護岸石組が一直線に直されたのが惜しまれる。前面の平地は一面の苔地で、枯滝前方に水分石風に一個置き、縁側の沓脱石からの飛石が礼拝石を経て東の島へと連なっている。全体的な地割りもよく、石組もすぐれた幕末の庭園である。
所在地
JR越後線 岩室駅から車で約15分/ 関越自動車道 巻・潟東ICから車で25分
問い合わせ先
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