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丹羽伯弘資料


 丹羽伯弘は、寛政七年(1795)に新発田藩の足軽の家に生まれ、弘化三年(1846)に没しています。幼くして学問を好み、18歳で郡方附人となり、次いで郡廻りへと抜擢されました。文政7年(1824)に積善堂(のちに学半楼とも呼ぶ)という当時有数の私塾を旧谷町(現西園町三丁口)に開いているが、翌8年、佐藤泰助とともに江戸へ遊学を命じられ、5年間、松崎僚堂(林家朱子学派)に学び、のち林せい宇(昌平校第九代大学頭)へも入門し、文政12年(1829)に帰藩しています。10代藩主溝口直諒は藩佼の教授に登用しようとしたが、在任教授の反対でそれを断念したといわれています。伯弘は、公務のかたわら領民の子弟を集めて教育に努め、大野恥堂や小川心斎などの教育者を育てました。天保13年(1842)草津温泉入湯を許され、諸国の名勝をたずね、富士登山をして江戸に出ました。この時、松崎慊堂のすすめで林せい宇に師弟の礼をとった。翌14年、新発田藩にとっては異学である林家朱子学に許可なく入門したということで、その職を免ぜられました。  伯弘は博学多識で、詩文に長じ絵を解し、また琴もよく奏でたといわれる。佐久間象山や梁川星巌などとも親交がありました。  今残っている遺品は、伯弘自筆の著書、写本類、旅行記、書簡、自画像それに積善堂の資料等で、本市の教育史や思想史の資料として逸することのできないものです。

指定:市町村
種別:有形文化財(歴史資料)
員数:214点
時代:江戸後期
所有者・管理者:新発田市立図書館
指定年月日:昭和52年4月11日

問い合わせ先

新発田市生涯学習課文化行政室
〒959-2323  新発田市乙次281-2
TEL:0254-22-9534   FAX:0254-26-3755

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