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下中野御神楽舞

しもなかのおかぐらまい

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 吉田町の下中野集落に伝わるこの神楽舞(かぐらまい)は、祝い事があると諏訪赤坂神社に奉納されてきたものです。  この神楽舞は、出演者一同が神社境内まで行列する「道行」(みちゆき)から始まり、少年による「棒舞」(ぼうまい)や青年による「太刀舞」で場を清めて「神楽舞」にうつります。その後、「ウズラ舞」「獅子舞」「外郎売」(ういろううり)などが1時間半あまり続き、総勢80名以上の舞い子や囃子方(はやしかた)などが次々に演舞します。演目の多さ、規模の大きさなど、県内では他に見られない神楽です。

指定:県
種別:無形民俗文化財(民俗芸能)
所有者・管理者:保護団体 下中野神楽連中
指定年月日:平成10年3月31日

詳しい解説

西蒲原郡吉田町大字下中野に伝わる神楽舞である。下中野集落では、郷土や国家の慶事に、ほぼ十年に一度の割合で、集落の鎮守・諏訪赤坂神社に神楽舞を奉納してきた。  その由来は、地元では元禄期(1688~1704)に神社に奉納したのが始まりと伝えられているが、享保3年(1718)に二世市川団十郎が初演し、享保年間(1716~36)に江戸で流行した、歌舞伎の「外郎売」が演目に取り入れられていることから考えると、この神楽舞の成立は、江戸時代後期とみるのが妥当であろう。  この神楽舞は、その上演にあわせて編成替えが行われる神楽連中によって、代々守り伝えられてきた。神楽舞の舞台となるのは、諏訪赤坂神社の境内である。境内が舞台となるため、特別な装置は用いない。  神楽舞は、獅子宿の集落開発センターから諏訪赤坂神社の境内までの「道行」から始まる。それぞれの装束に身を包んだ八十余名の神楽連中が行列する様は壮観である。一行が神社の大門に到着すると、大門の前で「大門口の舞」を演じ、境内に入る。世話方(総務)による「開口」に続いて、場を清める「棒舞」、「太刀舞」が演じられる。続いて、「神楽舞」、「ウズラ舞」、「獅子舞」、「外郎売」といった多様な芸が約1時間半にわたって次々と演じられていく。  下中野の神楽舞は、社壇を伴うことから、県内に数多く分布する、伊勢の御師によって伝えられた獅子神楽の一つとみることができる。しかしながら、県内の他の獅子神楽にはみられない特色をもっている。  第一に、関係者が80名をこえるという規模の大きさである。県内を見渡しても、これだけの規模をもった神楽舞は他に見当たらない。  第二には、多彩な芸で構成されている点である。この神楽舞には、江戸神楽にみられる「三番叟」、モドキ芸の「ウズラ舞」、散楽の流れをくむ「立舞」、歌舞伎の「外郎売」といった異なったジャンルの要素が、多数取り入れられている。  第三には、田楽を強く意識している点である。鎌倉時代に流行した田楽では、「中門口」「高足」「一足」「能」などの芸が次々に演じられた。下中野で演じられる「大門口」は、田楽の中門口を模したものと考えられる。「道行」や「開口」といった言葉や、多彩な芸で構成されるところにも、田楽を意識した組立をみることができる。  そして第四には、それらの芸が意識的に配列されている点である。棒と太刀、神楽と獅子、神楽の前後に演じられる「散しの舞」(シャロー)、外郎売の「上巻」と「下巻」というように、それぞれの芸が「本芸とモドキ」「対」を意識して配列されている。  このように、田楽を意識して組み立てられた下中野神楽舞は、その規模の大きさ、芸の多様さから、本県の芸能史上における特異な存在として位置づけることができる。また、一つの芸能が構成されていく過程を知る上でも貴重である。

所在地

燕市下中野388番地6

JR越後線 吉田駅から徒歩15分/北陸自動車道 三条・燕ICから車で20分(駐車場無し)

問い合わせ先

燕市教育委員会社会教育課
〒959-1262  燕市水道町1-3-28 総合文化センター内
TEL:0256-63-7002   FAX:0256-63-7003

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